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インフォメーション町家
八竹庵(旧川崎家住宅)
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「"境界"を打ち破ろう!」& プチバトー展示会「シマシマかくれんぼ」
NTT西日本三条コラボレーションプラザ
KYOTOGRAPHIE 子ども写真コンクール展2023
「"境界"を打ち破ろう!」& プチバトー展示会「シマシマかくれんぼ」
NTT西日本三条コラボレーションプラザ
KYOTOGRAPHIE 子ども写真コンクールのファイナリストたちの作品が、プチバトーフォトコンテスト「シマシマかくれんぼ」のファイナリストたちの作品と一緒に展示されます。
展示スペースには、和紙や折り紙でオリジナルのフォトブックを制作できたり、子どもたちが無料の工作アクティビティに夢中になれるキッズ・コーナーもあります。
KYOTOGRAPHIE 子ども写真コンクール 2023
子ども写真コンクールでは、関西の学校に通う小学1年生から中学3年生までの子どもたちを対象に「BORDER "境界"」をテーマとした写真作品を募集しました。子どもたちは、学校でのチュートリアル授業で写真の基本を学んだあと、テーマに沿った自分なりの解釈を写真で表現しました。結果として、今年度は392組の作品が集まりました。各学年から選出した優秀作品52点をフェスティバル開催期間中に展示します。
2023年 参加校
京都市立高倉小学校、京都インターナショナルスクール、京都国際フランス学園、平安女学院中学校、大阪YMCA国際学校、同志社インターナショナルスクール京都、大阪インターナショナルスクール、洛和会児童館(音羽児童館、花山児童館、大塚児童館、深草児童館)
2023年 審査員
ジェニファー・ヘンベスト・デ・カルビロ(美術教師、大阪インターナショナルスクール)
ジゼル・マーチ(美術教師、同志社国際学院)
木佐貫 功(美術教師、平安女学院中学校)
ウェンディ・キャロル(美術教師、京都インターナショナルスクール) -
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松村和彦
心の糸
八竹庵(旧川崎家住宅)
Kazuhiko Matsumura
心の糸
KG+ Select 2022 Winner
八竹庵(旧川崎家住宅)
「超高齢社会」である日本では、総人口の28.9%が高齢者であり、また2025年には約700万人(高齢者の約5人に1人)が認知症になると予測されています。一方で、認知症の症状が具体的にどのようなものか、その実態についてはあまりわかっていない人も多いのではないでしょうか。
写真記者でもある松村和彦は、2017年から認知症の本人・家族・周囲の人々に取材を重ね、それぞれの日々や移ろい、歩みをカメラに捉えています。
本展では、築100年の町家を舞台に、松村の作品とともに認知症の症状を理解し、認知症の世界を体験するような空間構成となっています。
展示タイトルの「心の糸」は、松村が取材をした男性が、認知症を発症した妻から「お父さん」と言われ父とみなされたときに、妻との心の糸が切れてしまった、と松村に語ったことに由来します。
誰しもに等しく課せられる老いとは何か、その先にある死とどう向き合っていくか──松村の作品は、認知症を理解するきっかけを提示しながら、私たちの日々の暮らしにあるささやかな幸せや、認知症になっても失われることのない人生の美しさと価値に、やわらかな光を照らしています。
Kazuhiko Matsumura, Heartstrings ©Kyoto Shimbun Newspaper
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マベル・ポブレット
WHERE OCEANS MEET
京都文化博物館 別館
Mabel Poblet
WHERE OCEANS MEET
Presented by CHANEL NEXUS HALL
京都文化博物館 別館
マベル・ポブレットは、写真、ミクストメディア、ビデオアート、キネティックアート、パフォーマンスアートといった さまざまな手法で多彩な制作活動を行い、キューバの現代アートシーンで活躍する若手アーティストの一人です。
ポブレットの作品は、フィデル・カストロ政権下のキューバで育った若い世代のアイデンティティや、世界とのつながりといった、彼女自身の経験に基づくもので、作品を通して、キューバ 社会と今日の世界を語ることで、観る者に疑問を投げかけています。
本展は、マベル・ポブレットが心に抱き続けてきた大切なテーマである“水”、そして“海”を、さまざまな表現を通して感じることのできる展覧会です。“水”は、キューバと日本の共通点である“海”と共存する島国ならではの文化的独自性を示しています。
海との独特な結びつきから、ポブレットの作品の中心には“水”があります。過去から現在に至るまで、彼女が手掛けたシリーズのほとんどは“水”を題材にしています。海はいくつもの表情、さまざまな側面、異なる意味を持ち、多くのメッセージを伝える力があります。ポブレットのように島に生きるアーティストにとって、海とは自分を他の世界から切り離すものであると同時に、他の世界の岸辺と繋ぐものでもあります。海とは境界線であり橋であり、友であり宿敵であり、まさに人生を形作る要素のひとつなのです。
マベル・ポブレットはアーティストとして、鑑賞者を旅に連れ出し、まったく新しい展望へと心を開かせるだけでなく、彼女のアートに欠かせない一部として取り込んでいるのです。「WHERE OCEANS MEET」展は、私たちが人類という共通の海に浮かぶ小島のような存在であることを思い出させてくれる場所なのです。
Artwork photo courtesy of Alejandro Gonzales
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ロジャー・エーベルハルト
Escapism
嶋臺(しまだい)ギャラリー
Roger Eberhard
Escapism
In collaboration with IMAGES VEVEY (Switzerland)
嶋臺(しまだい)ギャラリー
スイス人フォトグラファー、ロジャー・エーベルハルトの最新作シリーズ〈Escapism〉(エスカピズム/現実逃避)は、クリシェ的な(よく聞く)観光名所をめぐる旅であり、スイス文化の特異性を知るための糸口でもあり、また、リチャード・プリンスやシェリー・レヴィーンらのアプロプリエーション(流用・借用)からアンディ・ウォーホルやロイ・リキテンシュタインらのポップアートまで、美術史上の様々なムーブメントを想起させる作品でもあります。
スイスのレストランやバーでコーヒーを注文すると、小さな茶色のプラスチック容器に入ったコーヒーフレッシュが必ず添えられて出てきます。このクリームの容器には薄いアルミ箔の蓋(ふた)がついていて、それを剥がしてコーヒーにクリームを注ぐのですが、この蓋に写真が印刷されるようになったのは1968年のことでした。
クリーム容器の蓋に印刷された写真の多彩なジャンルの中から、エーベルハルトは特に風景写真にフォーカスしています。小さな蓋に印刷された風景写真をさらに再撮影するという手法で、高解像度のカメラを使用して超クローズアップで撮影します。スタジオで撮影した写真は、緻密なデジタル処理によって完璧な画像に仕上げられます。最終的には、過剰なまでに大きく引き伸ばしてプリントし、もともとのクリーム容器の蓋の写真に新たな解釈を加えた作品が完成します。
「Escapism(エスカピズム)」とは、現実を直視しないこと、すなわち、現実世界や社会生活に幻滅し、そこから逃げ出そうとする態度のことを指します。現実逃避はパンデミックの外出制限の間にロジャー・エーベルハルトのプロジェクトの中心的なテーマとなっていきます。エーベルハルトの〈Escapism〉(現実逃避)では、非常にスイス的な伝統──すなわち、コーヒー用クリーム容器の蓋を収集すること、そしてそこに印刷されているイメージを鑑賞し、愛でること──を作品の題材として取り上げています。
引き伸ばされたプリントでは、CMYK印刷の網点のパターンが鑑賞者の立ち位置によって現れたり消えたりします。インクのドット(網点)ひとつひとつが生み出すグリッドは、イメージの工業性を際立たせます。アンディ・ウォーホルやロイ・リキテンシュタインの作品とも相通ずる要素です。ドットのパターンはまた、鑑賞者を夢想的な逃避から現実の世界へと容赦なく引き戻す力も持っているのです。
Mount Fuji (Escapism, 2022)©︎ Roger Eberhard
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山田 学
生命 宇宙の華
HOSOO GALLERY
Gak Yamada
生命 宇宙の華
Presented by Ruinart
Ruinart Japan Award 2022 WinnerHOSOO GALLERY
山田学はKYOTOGRAPHIEインターナショナルポートフォリオレビューの参加者から選ばれる「Ruinart Japan Award 2022」を受賞。世界最古のシャンパーニュメゾンであるルイナールのアート・レジデンシー・プログラムに参加するため、2022年の秋に渡仏、収穫期にシャンパーニュ地方のランスを訪れます。ルイナールの葡萄畑で収穫した葡萄の実や葉、畑にあった石、京都から持参した金箔や、土中や海中でもバクテリアによって生分解されるセロファンなどを撮影し、現地で滞在制作しました。
とりわけ滞在中に山田にインスピレーションを授けたのは、中世の白亜(石灰岩)の石切場を再利用し、38メートル上にある穴から地上の光が差す神秘的な構造のルイナールのシャンパーニュの地下貯蔵庫「クレイエル」でした。
太古の微生物の死骸が堆積し生成された石灰岩が、貯蔵庫の一定の温度と適度な湿度を保つことで、葡萄からできたシャンパーニュを熟成させるという現象に、生命の循環を感じたと山田は語ります。そしてビックバンにより宇宙が始まり、星が生まれ、生命が生まれるという、生命と宇宙の起源に思いを馳せ、本作「生命 宇宙の華」が生まれました。山田の作品が捉える生命のきらめきは、この世界が内包する刹那の美しさと、すべての生きとし生けるものの存在を讃えるかのようです。本展では写真作品に加え、シャンパーニュの泡立つ響きやクレイエルで採取したサウンドを交えた、映像によるインスタレーションを展示します。
© Gak Yamada
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頭山ゆう紀
A dialogue between Ishiuchi Miyako
and Yuhki Touyama
「透視する窓辺」誉田屋源兵衛 竹院の間
Yuhki Touyama
A dialogue between Ishiuchi Miyako
and Yuhki Touyama
「透視する窓辺」With the support of KERING’S WOMEN IN MOTION
誉田屋源兵衛 竹院の間
そのものに宿る記憶と時間をフィルムにおさめ、作品を発表してきた国際的な写真家、石内都が本展に選んだ若手女性写真家は頭山ゆう紀。本展では、二人の写真家の作品が「身近な女性の死」という共通点のもと同じ空間で重なり合います。
石内の〈Mother’s〉は、2000年に亡くなった自身の母親の遺品と向き合ったシリーズで、これまでに世界中で展示されてきました。作中では個人的なテーマを扱っていますが、石内が展示を繰り返し数多くの人の目に触れることで、モチーフは「自分の母」という存在から誰のものでもない「母親」、そして「女性」へと昇華していきました。
頭山は、2年前のコロナ禍に亡くした祖母の介護中に撮影した新作と、2008年のシリーズ〈境界線13〉より家族がいる風景の作品を選びました。しかし、そこには他の家族は写っていても祖母と昨年急逝した母の姿は写っていません。頭山は新作では祖母自身を撮影するのではなく、病気で外出できなくなった祖母の立場に立ってシャッターを押すことに決め、相手に寄り添おうとしたのです。
二人の写真家は、写真を通して今は亡き相手とコミュニケーションをとるようにしました。頭山はまた、石内の〈Mother‘s〉と並んだ空間に展示することで、母親との新しい関係が築けると考えています。 作品が写す「個」は、展示によって写真の対象そのものから解放されることで、そのモチーフは普遍性を持ち、さらに社会性の領域へと境界線を超えていくのです。
石内は長きにわたり写真家として写真の歴史をつくってきました。世代の異なる頭山との今回の対話で、写真史に新たな1ページを刻むことになるでしょう。
本展は、ケリングの「ウーマン・イン・モーション」の支援により制作される、世代の違う女性写真家2名による対話的なエキシビションとなる。「ウーマン・イン・モーション」は、アートとカルチャーの分野で活躍する女性に光を当てることを目的として2015年に発足し、以降様々な芸術分野における女性の地位や認識について理解を深め、変化を促すためのプラットフォームになっている。シリーズ〈境界線13〉より © Yuhki Touyama
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石内 都
A dialogue between Ishiuchi Miyako
and Yuhki Touyama
「透視する窓辺」誉田屋源兵衛 竹院の間
Ishiuchi Miyako
A dialogue between Ishiuchi Miyako
and Yuhki Touyama
「透視する窓辺」With the support of KERING’S WOMEN IN MOTION
誉田屋源兵衛 竹院の間
そのものに宿る記憶と時間をフィルムにおさめ、作品を発表してきた国際的な写真家、石内都が本展に選んだ若手女性写真家は頭山ゆう紀。本展では、二人の写真家の作品が「身近な女性の死」という共通点のもと同じ空間で重なり合います。
石内の〈Mother’s〉は、2000年に亡くなった自身の母親の遺品と向き合ったシリーズで、これまでに世界中で展示されてきました。作中では個人的なテーマを扱っていますが、石内が展示を繰り返し数多くの人の目に触れることで、モチーフは「自分の母」という存在から誰のものでもない「母親」、そして「女性」へと昇華していきました。
頭山は、2年前のコロナ禍に亡くした祖母の介護中に撮影した新作と、2008年のシリーズ〈境界線13〉より家族がいる風景の作品を選びました。しかし、そこには他の家族は写っていても祖母と昨年急逝した母の姿は写っていません。頭山は新作では祖母自身を撮影するのではなく、病気で外出できなくなった祖母の立場に立ってシャッターを押すことに決め、相手に寄り添おうとしたのです。
二人の写真家は、写真を通して今は亡き相手とコミュニケーションをとるようにしました。頭山はまた、石内の〈Mother‘s〉と並んだ空間に展示することで、母親との新しい関係が築けると考えています。 作品が写す「個」は、展示によって写真の対象そのものから解放されることで、そのモチーフは普遍性を持ち、さらに社会性の領域へと境界線を超えていくのです。
石内は長きにわたり写真家として写真の歴史をつくってきました。世代の異なる頭山との今回の対話で、写真史に新たな1ページを刻むことになるでしょう。
本展は、ケリングの「ウーマン・イン・モーション」の支援により制作される、世代の違う女性写真家2名による対話的なエキシビションとなる。「ウーマン・イン・モーション」は、アートとカルチャーの分野で活躍する女性に光を当てることを目的として2015年に発足し、以降様々な芸術分野における女性の地位や認識について理解を深め、変化を促すためのプラットフォームになっている。© Ishiuchi Miyako, Mother’s #39, Courtesy of The Third Gallery Aya
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山内 悠
自然 JINEN
誉田屋源兵衛 黒蔵
Yu Yamauchi
自然 JINEN
With the support of FUJIFILM
誉田屋源兵衛 黒蔵
山内悠は屋久島に 9 年にわたり何度も通い、毎回単身で約1カ月を森の中で過ごしました。大自然の中で自分の中にある不安や恐怖心に気づき、自然との距離を感じたことからこの旅は始まります。猿やほかの動物は何事もなく活動しているのに、なぜ人間である自分は恐れを抱くのか、この感覚は何なのか。昼夜問わず森の中を歩き続け、自身の内なる恐怖心や感情と向き合う中、山内は様々な巨木に出会い 、その存在によって外界へと意識が引き戻されました 。
その巨木を撮影することで「樹と自分自身がつながり、自然と自分との境界線が曖昧になった」と山内は語ります。自分自身も何も恐れる事のない自然の一部なのだと悟った瞬間でした。境界を引いていたのは実は自分だったのだと気付き、いかに自分の意識が作り出した幻想(表象)の中に居たかを実感するようになりました。そして、このような内(自身)と 外(外界)の行き来を何度も繰り返した森での最後のとき、闇夜にヘッドライトで照らされて現れた恐怖を煽る森の樹々が、夜明けには光に照らされた神々しい存在へと変化するさまを目の当たりにしたのです。そのとき、ずっと抱えていた恐怖心は消えていました。目の前に在る現実とは何なのか、山内はその疑問をずっとカメラを通して問いかけてきましたが、それは自らの内にある世界の投影であることを写真が見せてくれたと語ります。
「自然(しぜん)」という言葉は、明治期以降「Nature」の訳語として人間の対義として用いられるようになりましたが、日本には古来より「自然(じねん)」という考えがあり、「おのずからしかる」と読むように、人間をも含む全ての現象は、ありのまま、あるがままの状態である事を意味しています。こうして生まれた本作「自然|JINEN」は、山内が体感した心の状態と森との関係性が異次元なイメージとして写真に投影されています。その自ずと変化して行くありのままの光景には、私たち人間の存在のありか、それ故の世界の闇と光を見ることができるのではないでしょうか。
存在 existence #11 from the series of 自然 Jinen © Yu Yamauchi
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世界報道写真展
レジリエンス ── 変化を呼び覚ます女性たちの物語
京都芸術センター
World Press Photo
レジリエンス ── 変化を呼び覚ます女性たちの物語
助成:オランダ王国大使館
京都芸術センター
World Press Photo Foundation (世界報道写真財団)は1955年、オランダ・アムステルダムにて発足しました。世界各国で起こっている現実を伝える活動に従事しています。発足以来毎年、前年に撮影された写真を対象とした「世界報道写真コンテスト」を実施。国際審査員団によって入賞作品が選ばれ、世界中の120会場にて展示しています。
2023年の世界報道写真財団の展示では、2000年から2021年までの世界報道写真コンテストで受賞した世界各国の女性・少女・コミュニティにおけるレジリエンス(回復力)および挑戦に焦点を当てたストーリーを紹介します。ジェンダーの平等と公正は基本的人権であり、社会の結束には不可欠です。しかし今なお世界中の女性が根深い不平等に直面し、政治的・経済的な役割において、依然として十分な存在感を示すことができていません。また女性に対する暴力は、世界的に深刻な問題であり、保護されるべき問題です。
本展では、女性の権利やジェンダーの平等・公正へのコミットメントにアプローチします。世界13ヵ国から17人の写真家が記録した様々な「声」は、性差別、ジェンダーに起因する暴力、リプロダクティヴ・ライツ(性と生殖に関する権利)、女性の権利、ジェンダー平等と公正などの問題に対する洞察を提示しています。21世紀を迎えた現在、女性やジェンダーの問題がどのように変化してきたか、またフォトジャーナリズムがどのように発展してきたかを辿ります。
Finding Freedom in the Water © Anna Boyiazis
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現在地から
パオロ・ウッズ&アルノー・ロベール
Happy Pills
くろちく万蔵ビル2F
Paolo Woods & Arnaud Robert
Happy Pills
With the support of the Embassy of the Kingdom of the Netherlands and the Embassy of Switzerland in Japan
くろちく万蔵ビル2F
「幸せ」を定義する役割は、これまで長い間、宗教や哲学、あるいは政治が担ってきました。しかし今日、この普遍的なミッションは、次第に製薬業界の手に委ねられているようです。「幸せ」を追い求める人間の究極な願望に対して、すべての人々に標準化されたオートマチックな答えを提供すべく、製薬会社は現代のあらゆるツール(科学、マーケティング、そして通信)をフル活用しています。それは幸せであることが、いまだかつてないほどに強い義務感を伴うものとなっているからです。
「不思議の国のアリス」から「マトリックス」まで、集団的な無意識やポップカルチャーの中心的なモチーフとなっているのは、「薬」です。薬は、困難や抑うつ、人間という生き物に課せられる受け入れ難い制約に対して、魔法のように素晴らしい解決策をもたらします。化学による変身と治癒を約束する薬は、効率、権力、若さ、成果だけを信じるプロメテウス的な社会の完璧なメタファーです。つまりそれは、幸せであるように見えることが実際に幸せであることよりも重要であるということなのです。
写真家のパオロ・ウッズとジャーナリストのアルノー・ロベールは、「Happy Pills」(幸せの薬)を追い求め、5年間にわたって世界中を旅しました。薬は目に見えない傷を治し、人々にアクションを起こす勇気を与え、仕事を続けさせ、うつ病患者の重症化を防ぎ、家族を養うために働き続けるワーキングプアの人々を痛みから解放します。ニジェールからアメリカ、スイスからインド、イスラエルからペルーのアマゾンまで、世界中のあらゆる場所で、かつては永久に解決不可能だと思われた問題をただちに解決すべく、薬が使われているのです。
本プロジェクトは、書籍、展示、先日公開された映画による3部構成となっています。
©︎ Paolo Woods & Arnaud Robert
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高木由利子
PARALLEL WORLD
二条城 二の丸御殿 台所・御清所
Yuriko Takagi
PARALLEL WORLD
Presented by DIOR
二条城 二の丸御殿 台所・御清所
グラフィックデザインとファッションデザインを学び、ヨーロッパでファッションデザイナーとして活動していた高木由利子は、何度か訪れたモロッコで写真に開眼します。
本展のタイトル「PARALLEL WORLD」とは、共時的に存在する二つの世界のことを指し、高木は二条城 二の丸御殿台所・御清所にて二つのシリーズをパラレルに展示します。一つは、日常的に民族衣装を着ている人達を12カ国で撮影したプロジェクト〈Threads of Beauty〉。もう一つはDIORのために撮り下ろした新作や、ポール・スミス、イッセイ・ミヤケ、ヨウジヤマモト、ジョン・ガリアーノなど80年代から現代までのファッションを撮影したシリーズです。高木が旅で出会ったイランのノマドは、自分が愛おしく思う服を移動できる分だけ大切に所有し、移動の時にはすべての服を重ねて着飾っていたそうです。
また、今回展示されるDIORの作品の服はすべてオートクチュールであり、オーダーするクライアントの情熱と作り手側の真剣なクラフトマンシップが織りなす服の美しさは格別だったと高木は言います。それは一見ノマドの人たちの装いとは全く別世界のようですが、高木はこの二つの世界に共通の愛を感じました。
本展では、オリジナルプリントと共に特大サイズのデジタルプリントが展示されるほか、高木自身がプリントに着色した作品や、印画紙、和紙、コットン紙、漆喰など異なる素材にプリントされた作品が展示されるなど、多彩な写真表現とともにその領域の奥深さにも迫ります。
「ファッションも写真も、人に夢を与えてくれると信じている」と高木は語ります。来場者が「PARALLEL WORLD」に存在する二つの世界を行き来し、そのBORDER(境界線)がまじわり溶けるとき、服とは、写真とは、幸せとは何かという、日常に潜む根源的な問いと対峙することでしょう。
Left: ©︎ Yuriko Takagi / DIOR, Right: ©︎ Yuriko Takagi
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現在地から
ココ・カピタン
ASPHODEL
Coco Capitán
With the support of LOEWE FOUNDATION and HEARST Fujingaho
ASPHODEL
スペイン出身で、ロンドンとスペイン・マヨルカ島を拠点に活動するココ・カピタンは、KYOTOGRAPHIEのレジデンスプログラムで昨年10月から12月まで京都に滞在し、本作〈Ookini(おおきに)〉の制作に取りかかりました。京都に滞在中、フィルムカメラを携えて自転車で撮影に向かい、本作の被写体となったのはティーンエイジャー=10代の若者たち。未来の釜師、狂言師の息子、人形師の娘、禅僧を目指す学生、舞妓など日常生活に伝統文化が深く根付いている人々から、大学生や高校生、偶然出会った若者まで、多岐にわたります。今回、撮影に協力していただいた若者にはいつも「おおきに!」と感謝の気持ちを伝えていた、とカピタンは言います。
カピタンはこれまでさまざまなファッションブランドや企業とコラボレーションして作品を発表し、ファインアートだけでなく、コマーシャルアートの領域でも作品が評価されています。表現の自由が与えられたアーティストという立場で、資本主義市場に介入することに彼女は少しも恐れず、むしろ表現や働き方の幅が広がったと感じています。作品もまた、写真、絵画、詩などジャンルを横断しており、いろいろな手法でメッセージを発信することで、鑑賞者とつながる方法を模索しています。それはまるで、ひとりひとりに作品への多様な入り口を示してくれているかのようです。
カピタンの思うがままに撮影された京都の若者たち。伝統や制服など「何か」のルールの中で見え隠れする個性と協調性。それは自己と他者を認め合うコミュニティのあり方ではないでしょうか。また、ルールを設けず、ありのままの想いを綴ったカピタンのテキストは、感情を表に出すことをためらう人々の心の蓋を、そっと開けてくれるかもしれません。
©Coco Capitán
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現在地から
ココ・カピタン
大西清右衞門美術館
Coco Capitán
With the support of LOEWE FOUNDATION
大西清右衞門美術館
スペイン出身で、ロンドンとスペイン・マヨルカ島を拠点に活動するココ・カピタンは、KYOTOGRAPHIEのレジデンスプログラムで昨年10月から12月まで京都に滞在し、本作〈Ookini(おおきに)〉の制作に取りかかりました。京都に滞在中、フィルムカメラを携えて自転車で撮影に向かい、本作の被写体となったのはティーンエイジャー=10代の若者たち。未来の釜師、狂言師の息子、人形師の娘、禅僧を目指す学生、舞妓など日常生活に伝統文化が深く根付いている人々から、大学生や高校生、偶然出会った若者まで、多岐にわたります。今回、撮影に協力していただいた若者にはいつも「おおきに!」と感謝の気持ちを伝えていた、とカピタンは言います。
カピタンはこれまでさまざまなファッションブランドや企業とコラボレーションして作品を発表し、ファインアートだけでなく、コマーシャルアートの領域でも作品が評価されています。表現の自由が与えられたアーティストという立場で、資本主義市場に介入することに彼女は少しも恐れず、むしろ表現や働き方の幅が広がったと感じています。作品もまた、写真、絵画、詩などジャンルを横断しており、いろいろな手法でメッセージを発信することで、鑑賞者とつながる方法を模索しています。それはまるで、ひとりひとりに作品への多様な入り口を示してくれているかのようです。
カピタンの思うがままに撮影された京都の若者たち。伝統や制服など「何か」のルールの中で見え隠れする個性と協調性。それは自己と他者を認め合うコミュニティのあり方ではないでしょうか。また、ルールを設けず、ありのままの想いを綴ったカピタンのテキストは、感情を表に出すことをためらう人々の心の蓋を、そっと開けてくれるかもしれません。
©Coco Capitán
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現在地から
ココ・カピタン
東福寺塔頭 光明院
Coco Capitán
With the support of LOEWE FOUNDATION
東福寺塔頭 光明院
スペイン出身で、ロンドンとスペイン・マヨルカ島を拠点に活動するココ・カピタンは、KYOTOGRAPHIEのレジデンスプログラムで昨年10月から12月まで京都に滞在し、本作〈Ookini(おおきに)〉の制作に取りかかりました。京都に滞在中、フィルムカメラを携えて自転車で撮影に向かい、本作の被写体となったのはティーンエイジャー=10代の若者たち。未来の釜師、狂言師の息子、人形師の娘、禅僧を目指す学生、舞妓など日常生活に伝統文化が深く根付いている人々から、大学生や高校生、偶然出会った若者まで、多岐にわたります。今回、撮影に協力していただいた若者にはいつも「おおきに!」と感謝の気持ちを伝えていた、とカピタンは言います。
カピタンはこれまでさまざまなファッションブランドや企業とコラボレーションして作品を発表し、ファインアートだけでなく、コマーシャルアートの領域でも作品が評価されています。表現の自由が与えられたアーティストという立場で、資本主義市場に介入することに彼女は少しも恐れず、むしろ表現や働き方の幅が広がったと感じています。作品もまた、写真、絵画、詩などジャンルを横断しており、いろいろな手法でメッセージを発信することで、鑑賞者とつながる方法を模索しています。それはまるで、ひとりひとりに作品への多様な入り口を示してくれているかのようです。
カピタンの思うがままに撮影された京都の若者たち。伝統や制服など「何か」のルールの中で見え隠れする個性と協調性。それは自己と他者を認め合うコミュニティのあり方ではないでしょうか。また、ルールを設けず、ありのままの想いを綴ったカピタンのテキストは、感情を表に出すことをためらう人々の心の蓋を、そっと開けてくれるかもしれません。
©Coco Capitán
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セザール・デズフリ
Passengers 越境者
Sfera
César Dezfuli
Passengers 越境者
Sfera
毎年、何千人もの人々が、アフリカ沿岸からヨーロッパを目指して命がけで地中海を渡っています。2016年の夏、デズフリは、ドイツのNGO団体「ユーゲント・レッテト」が所有する元漁船の難民救助船イウヴェンタ号に3週間にわたって乗船し、リビアからイタリアへ渡航する地中海中央部のルートで、難民たちを助け出す救助船の様子を記録しました。
8月1日、リビア沖20海里を漂流するゴムボートから118名の難民が救出されました。デズフリは、この救出劇に名前と顔をつけて一人ひとりに人格を与えるため、救出されたばかりの乗客全員のポートレートを撮影します。その後彼らはシチリア島のポッツァーロ港で下船します。
難民の現実を記録し、統計からは決して明らかにならないアイデンティティを証明したいという思いから、デズフリは次のステップに進みました。難民たちを主人公とした物語が語られる必要がある、と考えたデズフリは、救助された難民たちを探し出し、彼らの物語を紐解く作業に取りかかったのです。なぜ祖国を離れようと思ったのか。旅の途中で何があったのか。イタリア到着後、彼らはどのような人生を送っているのか。
政治的な理由や経済的な理由、感情的な理由、伝染病、家族の問題、移民の群れに紛れ込んでの逃避行、あるいは旅をして新たな経験をしたいというシンプルで人間的な願望──難民たちの動機は様々なものでした。慎重な検討を重ねた末の決断もあれば、突発的な思いつきというケースもあります。西アフリカ各国からリビアへと、難民たちの足跡を辿る中で、人権侵害の実情も明らかになりました。
難民たちの証言は、移住先のヨーロッパで彼らが直面する現実をあらわにします。当局の動きは鈍く、数年間も待たされ、社会への適応を妨げられることもあります。政府からの無回答や難民申請の却下により難民は国から国へヨーロッパ中をさまよい続けることも余儀なくされます。
難民たちがどの国を目指すかは、話せる言語や知人のネットワーク、就職に関する口コミなどによる場合もあれば、偶然のなりゆきで決まる場合もあります。イタリア、フランス、ドイツ、スペイン、オランダなどが一時的な滞在国となることが多く、正式な処遇が決定するまでイタリア国内の収容施設に滞在し続ける難民も数多くいます。
「Passengers」は難民たちの物語の記録であり、難民への理解を深め、その苦境が忘れられることのないよう事実を後世に伝える、一大ドキュメンタリーなのです。
ギニア・コナクリ出身のアルファ。(1999年生)。
左:2016年8月1日、地中海の救助船上で撮影。
右:2019年2月8日、イタリア・ラマッカで撮影。
© César Dezfuli -
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ボリス・ミハイロフ
Yesterday’s Sandwich
藤井大丸ブラックストレージ
Boris Mikhailov
Yesterday’s Sandwich
In collaboration with the MEP, Paris (Maison Européenne de la Photographie)
藤井大丸ブラックストレージ
2020年の片山真理の個展「home again」(翌年KYOTOGRAPHIEからMEPに巡回)、2021年のグループ展「Women Artists from the MEP Studio」、2022年のアーヴィング・ペンの個展に続いて、MEP(ヨーロッパ写真美術館)が再びKYOTOGRAPHIE京都国際写真祭とタッグを組みます。今回展示するのは、ボリス・ミハイロフによるスライドショー「Yesterday's Sandwich(昨日のサンドイッチ)」です。本展は、2022年にMEPで開催されたミハイロフの大規模な回顧展を受けた内容となります。
ボリス・ミハイロフは1938年にウクライナのハルキウで生まれました。同時代を代表する写真作家であるミハイロフの仕事は常に先進的で、ドキュメンタリー写真からコンセプチュアルな作品、絵画、さらにはパフォーマンスまで、多岐にわたっています。半世紀以上もの間、ミハイロフは母国がソビエト社会主義体制に浸食されるのを間近で見ていました。ミハイロフが写真を通して構築する物語は間違いなく、今日の時事に対する新たな視座を私たちに与えることでしょう。
「Yesterday's Sandwich」は、ミハイロフがアーティストとしてのキャリアをスタートさせて間もない1960年代末から1970年代にかけて制作された作品です。社会主義体制のソ連では発表することができない写真のシリーズの中の2枚のスライドフィルムがミスによってくっつき、重なり合ってしまったことがこの作品の原点となりました。偶然が生み出す効果に魅了されたミハイロフは、都市の風景や軍事パレード、女性のヌードなどが偶発的に組み合わされ、詩的な対比を描き出すスライドショーを数多く制作したのです。それは、ソ連の全体主義的政治体制が人々の日常生活に及ぼす影響を浮き彫りにする作品でもありました。
本展が開催される今もなお、21世紀という時代にはまさか起こるはずがないと誰もが思っていた軍事侵攻がウクライナの地では続いています。ボリスと妻のヴィタの出生地である都市ハルキウも、この戦争によって大きな被害を受けました。その事実が、この展覧会をより一層鋭く痛切なものにしています。画面に捉えられた被写体と作家の間に結ばれていた感情的・政治的な関係性は、この戦争によって取り返しのつかないかたちで変質してしまいました。戦争という悲惨な状況において、私たちは、ウクライナの人々を支援し、また危機に瀕しているウクライナの文化を国内外で支援する必要に迫られています。そうした中でミハイロフの作品を展示することは、特別な意味を持ちます。優れた感性と独創性を持つ一人のアーティストの目を通して語られる「Yesterday's Sandwich」は、逆境に立ち向かい、強く生き抜くことの意味を私たちに示し続けている人々に捧げる讃歌なのです。
「Yesterday's Sandwich」はMEP(ヨーロッパ写真美術館)との共同企画により開催される展覧会です。 MEPとKYOTOGRAPHIEは、本展の実現に惜しみない協力をいただいたボリス・ミハイロフ氏とヴィタ・ミハイロフ氏に心より感謝申し上げます。
© Boris Mikhailov, VG Bild-Kunst, Bonn.
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現在地から
デニス・モリス
Colored Black
世界倉庫
Dennis Morris
Colored Black
With the support of agnès b.
世界倉庫
本展は、ジャマイカ系イギリス人の写真家デニス・モリスによる、1960-70年代のイーストロンドンのカリブ系移民たちの生活を追体験する展覧会です。
第二次世界大戦後の復興に必要な人材を確保するために、英国政府はコモンウェルス(英連邦)構成国の人々に英国への移住を呼びかけました。数多くのジャマイカ人が、より良い暮らしを手に入れるためにこの「招待」に応じました。カリブ海諸国から英国に渡ったこれらの人々は「ウィンドラッシュ世代」※と呼ばれています。
デニス・モリスもそうした多くの人々の一人でした。60年代、まだ少年だったモリスは母親とともにジャマイカからロンドンへやってきます。モリスは、ダルストン地区の教会の寄進者であり、聖歌隊の創設者でもあったドナルド・パターソン牧師を通じて写真と出会います。やがて自分のまわりの身近な人々や地域社会の様子をカメラで記録しはじめたモリスは、ジャマイカ人ミュージシャンのボブ・マーリーの後押しもあり、写真家として特に音楽業界で卓越したキャリアを歩んでいくことになります。
本展のモリスの写真を通じて追体験するカリブ系移民の人々の暮らしは、様々な苦難にもかかわらず、前向きで、熱意にあふれ、誇り高いものに感じられます。より良い生活を手に入れたいという彼らの強い思いが伝わってきます。
それは、カリブ系移民たちに対する呼称が、「カラード」(有色人種)から、力強く、ポジティブで、大きな影響力を持つアイデンティティとしての「ブラック」へと変化してきた時代と、モリスの写真史とがぴったりと重なっているからなのでしょう。
※移民の第一陣を乗せてきた商船「エンパイア・ウィンドラッシュ号」にちなんで名付けられた。SOUL Sista
© Dennis Morris -
現在地から
ジョアナ・シュマリ
Alba’hian
両足院
Joana Choumali
Alba’hian
両足院
「Alba'hian」はアニ語(コートジボワールのアカン系民族の言語)で「一日の最初の光」「夜明けに差す太陽の光」を意味します。毎朝、夜明けの時間帯にシュマリは起床し、散歩に出かけます。ゆっくりと姿を現していく大地や建物を眺めることから、シュマリの一日はスタートします。朝の光が物質世界の姿を徐々に明らかにしていくのと同じように、この観察を通して、シュマリは自分自身の思考や現実認識の変化に気付いていきます。朝の散歩は彼女にとって、自分を見つめる儀式のようなものなのです。
朝の散歩の際には、シュマリは風景を写真に撮ることを習慣としています。その写真に、コラージュや刺繍、ペインティングやフォトモンタージュなど、様々な技法を組み合わせながら、何枚もの薄い布のレイヤーを重ね合わせます。そこには道行く人々のシルエットが写し出されています。そうして、アーティスト自身の朝のひとときの体験に隠された意味や啓示を想像させる「toile=キャンバス」が生まれます。シュマリの作品は、記憶や夢を構成する素材と同じものでできていると言えるかもしれません。長い時間をかけていくつものレイヤーを縫い合わせ、布の上にモチーフやドローイングの刺繍をほどこしていくプロセスは、まるで瞑想のようにも感じられます。
シュマリの作品の全体像を捉えるのは、容易ではないかもしれません。その美しさや複雑さは、朝の散歩のように、ディテールをひとつひとつ確認していくプロセスを経てはじめて、把握することができるのです。すべてのピースを丁寧に辿っていく過程は、まるで隠された宝物を探すかのようです。
それはシュマリと母国との関係にも似ています。シュマリにとって母国の大地は、自らの生命力を最も強く感じられる場所、どこに行っても詩的な感性に包まれているように感じる場所、活力や美を再生し続けている場所なのです。
"LET IT OUT" 50 X 50 cm, mixed media, SERIES ALBA’HIAN ©JOANA CHOUMALI, 2022
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現在地から
ジョアナ・シュマリ
Kyoto-Abidjan
出町桝形商店街 ― DELTA/KYOTOGRAPHIE Permanent Space
Joana Choumali
Kyoto-Abidjan
出町桝形商店街 ― DELTA/KYOTOGRAPHIE Permanent Space
このプロジェクトは、今年のKYOTOGRAPHIEのテーマである「BORDER」からインスピレーションを受けて制作された新作です。
市場や商店街は、その土地のコミュニティの理想と現実が融合し、濃密で、多様で、豊かで、そして常に活気にあふれている場所です。旅行者が初めて訪れる街で最初に行ってみたいと思う場所のひとつであり、その土地に暮らす人々が日々の生活に必要なものを買い求めるために訪れる場所でもあります。
どの国にも、どの文化にも、独自のマーケットというものがあります。色彩、音、匂い、そしてそこにいる人々の雰囲気は、それぞれ異なっています。しかしながら、すべてのマーケットに共通する要素もあります。それは、地域社会の根源的な精神と奥深いところで結びついているという点です。
シュマリは、京都の出町桝形商店街とコードジボワールの政治経済の中心地であるアビジャンのマーケット、それぞれの店先で撮影された店主たちのポートレート写真を双子のように組み合わせ、ひとつに結び合わせます。そこには、人間性と人情いう人類共通の特質が表現されています。2つの写真の間をカラフルな糸で刺繍することで、日本とコートジボワールの2国間のBORDER=境界線を曖昧にするのです。
刺繍によってイメージをひとつに融合させるというイリュージョン的な手法で、シュマリは想像の中のマーケットを具現化します。そこでは、京都の人々とアビジャンの人々が隣人同士になっています。作品空間の中では、彼らは同じ場所で、互いに肩を並べて働いているのです。個性も文化も異なる人々が共存し、ともに自由を謳歌する──そこには、同じ人間として彼らが共有しているものが、くっきりと浮かび上がっているのです。
KYOTO ABJ 2, hand embroidery on digital photography printed on canvas, 20X30 cm ©Joana Choumali, 2023
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現在地から
インマ・バレッロ
Breaking Walls
伊藤佑 町家跡地
Inma Barrero
Breaking Walls
伊藤佑 町家跡地
陶器や金属を使ってオブジェやインスタレーション作品を制作するニューヨーク在住のスペイン人アーティスト、インマ・バレッロ。これまでの芸術的表現のステレオタイプから解放されることで、バレッロは不完全さを受け入れ、アクシデントを歓迎しながら制作に取り組んでいます。作品に使われる陶器の破片は、自然や文化の破壊を示唆し、同時に私たちの社会的、個人的、精神的な生活の不安定な側面にも言及しています。バレッロは、壊れることが終焉であるとは考えず、逆に壊れることに前進の可能性や変容のプロセスを見出します。
2019年、バレッロは日本の伝統的な陶磁器の修復技法である金継ぎを京都で学びました。金継ぎには金をはじめとする金属の粉が使われる一方で、バレロの故郷、スペインの陶磁器は金属の鎹(かすがい)を用いて修復されます。双方の伝統技法に使われる金属は、新しいつながりを作るために使われているのです。
本作〈Breaking Walls〉に向けて、京都市内の窯元や陶芸家、学生たちなど多くの人々の協力を得て陶磁器が集められました。その破片は金属製のメッシュフレームに詰められ、壁が完成します。このプロセスではスペインと日本の修復技法が呼応し、金属と陶磁器の破片が共に新しいかたちを創造するのです。会場に立つ二重の壁の間は歩けるようになっており、その空間は人々を迎え入れてくれます。バレッロはこの壁を、何かを区切る境界線としてではなく、コミュニティが集う空間として捉えています。
〈Breaking Walls〉と共に展示される映像作品には、バレッロが制作した繊細で女性的なドレスに見立てた陶器の立体作品が意図的に壊される様子が映し出されます。そして〈Breaking Walls〉を制作するために使われたのも、さまざまな理由で廃棄されることになった陶芸作品です。誠心誠意を込めて制作した作品を何らかの理由でアーティストたちが手放したのと同様に、バレッロもまた、この映像作品を制作するため、愛する作品を手放さなければなりませんでした。それは、破壊するという行為の暴力性や女性的なかたちの崩壊、新しいものを生み出すために壊されたドレスの運命を記録しています。繊細な作品を壊すという行為がアートになり、究極の破壊を否定することで、脆さと強さがつながるのです。壊れた陶磁器の破片から制作されたバレッロの作品は、多様性と共存の意義、伝統や文化、コミュニティの重要性に光を当てることになるでしょう。
© Inma Barrero